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5月 08 2008
Vol.2トルコ プリント
2008/05/08 木曜日 11:00:00 JST

遊牧民(イメージ)

 

市場で売られる豊富な野菜

トルコ料理

トルコ料理の定義は難しい。もともとは遊牧民が食べていた食事と現在のアナトリア半島に定住していた住民が食べていたものとが融合され、さらに1071年に中央アジアから大量に移住してきた人々が持ち込んだ食材もそれらに加わったと言われ、それらを称して「トルコ料理」とされている。あまり知られていないが、フランス料理、中華料理と並ぶ「世界三大料理」である。

フランス食文化に関する著作の多い作家の宇田川悟氏によれば、トルコ料理とは「オードブルからデザートまで統一したコンセプトを持っている、洗練された三大料理である」という。一説にはフランス料理、イタリア料理の基礎となったのがトルコ料理であるともされる。

トルコ料理の起源の一端である遊牧民の普段の食事には羊、牛、馬といった肉は出ない。不動産を持ち得ない彼等にとっての唯一の換金性のある財産がそれらの動 物であるため、普段の食卓に肉料理が上ることはない。そこで登場するのはチーズ、バターであり、移動先での野菜、果物を食べていた。

中央アジアから運ばれてきた野菜はニンジン、セロリ、きゅうり、レタス、大根、茄子など。アナトリア台地にあった、タマネギ、ホウレン草、りんご、梨、プラム、ブドウ、マスクメロンなどに加え、地中海沿岸で出来たキャベツ、カリフラワー、アスパラガスといった豊富な野菜、果物が、領土の拡大に伴って食卓を飾るようになった。


たくさんの乳製品の中でも最も重要なのが、今も昔もヨーグルトである。ヨーグルト=ブルガリア、といったイメージが強いが、中央アジアで出来たものが東欧地域に伝わっていったのである。最近日本でもカレーなどに入れてまろやかに作ったりするが、トルコでは「アイラン」といったヨーグルト飲料にしたり、料理にかけたりと、なくてはならない食材である。
普段は食卓に上がらない肉も、お祭りや祝賀行事にはケバブ(焼肉)、シシカバブ(シシ=串)といった料理になって登場した。
遊牧民がイスラム圏であったアラビア半島に移った頃から、豚肉を食べないイスラムの食文化が浸透し、アラビア半島から現在のトルコが位置するアナトリア半島へ渡った段階でもその戒律は残り、そこに定住していたヒッタイト、ローマ、ギリシア時代からいた民族との食文化と融合された。彼らはキャベツ、カリフラワー、パセリなどの豊富な野菜、海産物を多く取っており、それらがドッキングした結果、食材のバラエティに富んだ現在のトルコ料理の原型となった。
野菜が多く米の付け合せが多いトルコ料理は日本人の舌に合うものが多いが、シルクロードを通って入ってきた中国食文化の影響も多くみられ、春巻きや水餃子なども「トルコ料理」として存在する。
トルコでは現在でも遊牧生活を続ける人も少なくないが、彼らの作る独自のパンがピザの原点ではないかといわれ(「ピデ」、「ピタ」という語がピザの語源であるといわれる)、そこに新しい地の野菜、自分たちで作ったチーズなどを載せてあぶって食べている。

 

ヨーグルトを使う料理

 

中国文化を受けた料理も

 



宮廷での食事の様子

 

宮廷の台所(復元)

王宮の食
オ スマントルコ帝国はコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を攻め、地中海沿岸まで領土を拡大した。莫大な財力と権力を握った王はそれぞれの領土から有名な料理人を多額の報酬で宮殿に呼び寄せ、コンクールを行い腕を競わせることで、新しく洗練された料理が次々と生まれていった。
宮殿の厨房をあずかる調理人のために、彼らのための教科書である「コックの避難所」といった書籍も作成された。それは料理本というよりも教則本といったもので、王が太らないためのルールが掲載されていた。世界史上、美味美食で痛風などにかかる権力者が多かった時代に、「1日2食」、「地の野菜をふんだんに使うヘルシーフード」、「栄養バランスと健康を最重視」といった内容は興味深い。
また、ヨーロッパの皇帝は安全上もあり、1人で食事を取ることが多かったのに比べ、オスマントルコの王は部下と食卓を囲んで食べていたとされる。


トルコの嗜好品

雲 南省で栽培されたお茶は、古代においては薬として用いられており、茶葉が伝わったモンゴルでも従来通り馬乳酒などを飲んできた。お茶が嗜好品として飲まれ るようになったのは、ロシアのミカエル皇帝への献上品としてモンゴル皇帝が茶葉を贈ったのが最初であった。現在ではモンゴルでもお茶を煮立てて飲用してい る。

ロシアでは自国領土内での生産を開始、現在のグルジア共和国の黒海沿岸で茶葉栽培を始めた。当時のトルコ領から多くの労働者がそこへ出稼ぎに行ったが、ロシア革命以降、職を失った彼らが帰国し、その際にトルコに茶葉、そしてお茶の飲用文化を持ち帰った。

お茶が入ってくるまでのトルコではコーヒーが代表的な嗜好品であった。7世紀初め、エチオピアのビシニア高原でコーヒー豆が取れたが、15 世紀、オスマントルコの王が遠征に行った際に羊が赤い実を食べてふらついたのを見て持ち帰ったのがトルコでのコーヒー文化の始まりであった。イスラムの戒 律ではアルコールとともに酩酊作用のあるコーヒーは禁止されていたにも関わらず、16,17世紀には町中にコーヒーショップが増えた。

19世紀に入り、オスマン帝国が衰退し領土が縮小するに伴い、それまで自国で採れていたコーヒー豆を海外から輸入せざるをえなくなり、高い関税の頭を痛めた政府は嗜好品としてのお茶を推奨し始めた。このころからコーヒー文化がすたれ、お茶文化が市民にも浸透、現在に至る。

現在もこの「ドゥブレ」と呼ばれるティーカップで1日に何杯も(人によっては何十杯も)飲む。かつてコーヒーショップであった喫茶店でもお茶を出すようになっていき、「読書室」「集会室」として男性の集会の場となっていった。

  またトルコの食文化の最大の特徴は、イスラムの国でありながら飲酒文化が普通に存在するところだ。本来なら厳禁である飲酒だが、スンニ派の教徒がほとんど で国としても宗教に非常に大らかであることから、「ラク」という独自の蒸留酒(水を入れると白濁し、「ライオンの酒」と呼ばれる)やぶどう酒もある。

お茶摘みの様子

 

ドゥブレに入った紅茶

 

トルコの喫茶店

 

ラク

 

 
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