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4月 16 2008
Vol.2チーズの歴史 プリント
2008/04/16 水曜日 00:00:00 JST


美の女神 アフロディーテ
(ドミニク・アングル画)

 

チーズの伝播
乳を利用する風習は乾燥アジアを中心に北東はモンゴル、南西はアフリカの北部まで、広い地域に独自の伝統的な利用技術を伝播していった。一方、南東のイン ド、チベット方面へは湿潤または熱帯性アジアに独特な乳利用文化を築いていった。これらのアジア、アフリカ大陸への伝播は今日まで古い伝統のまま受け継が れてきているものも多い。
現在チーズの本場、本流となっているヨーロッパ大陸へは中近東からトルコを経てギリシアに伝播したと考察される。古代ギリシアでは、オリンポスの神々への 供物としてチーズが登場し、有名なホメロスの英雄叙事詩「オデュッセイア」(B.C.1000年前後)には『美の神アフロディーテがゼウスの娘へレナを チーズとワインと甘い蜜で育て上げたため、ヘレナは輝くばかりの美しさと知性を与えられた』との記述が残っている。ここからもわかるように、当時のギリシ アではチーズを食べる事で男は強くなり、女は美しさと智が与えられると考えられ珍重されたようである。

古代ギリシアで作られたチーズは山羊、羊、ロバの乳で出来たもので(現在のフェタチーズの原型?)、神殿付近の谷間で食用または神への供物として組織的に 作られていたようである。この製造技術はヒポクラテスやアリストテレスによっても記載されており、また旧約聖書の「サムエル記」にも「蜜とバターと羊の チーズをダビデと・・・」 という記述があることから、紀元前(BC)1000年頃には伝播していたと思われる。ローマ帝国の領土拡大と共にヨーロッパ 各地へ発展していった。
また、B.C.1000~800年頃にはエルトリア人によって北イタリアにもチーズがもたらされたというが、これはギリシアから陸路を経てではなく、直接 海路で西アジアからアルプスを源流とするポー川周辺に伝わったといわれている。ポー川流域のロンバルディア地方ではこのころから様々なチーズが開発され、 現在作られているチーズとほぼ同様の作り方が確立されていった。

現在のフェタチーズ

 







チーズの原型といわれる「蘇」(復元)

日本へのチーズ伝来
古代インドの叙事詩「リグ・ヴェーダ」にはチーズを勧める歌が記載され、仏典には「醍醐」というチーズとバターの中間の様なものが「最高の味」と賞賛され登場している。「醍醐味」という言葉はここからきている。
日本の乳利用は645年、大化の改新頃といわれる。モンゴル-朝鮮半島経由で仏教とともに伝わったとされ、百済より帰化した善那が孝徳天皇に牛の乳を搾っ て献上し、牛乳の効能を説いたという史実がある。この「蘇」「酪」と呼ばれるものが日本に伝わったチーズの原型とされ、この頃から朝廷貴族の間では健康食 品として珍重された。
これを機に、奈良平安時代にかけて宮中の乳牛院では「蘇」、「酪」が作られるようになり、諸国で蘇を作らせて奉納する「貢蘇の儀」という制度も確立された。推古天皇の時代には、諸国で作られた醍醐の品評会が行われたという話も残っている。
これらの古代乳製品は食用または薬用に供される他、特に蘇は仏教信仰の供物とされた。
その後武家社会となり、朝廷の力が衰えて牛馬が武器として利用されるようになると、乳を利用する文化が衰退、蘇や酪も失われ、その後江戸時代までチーズをはじめ乳製品の食加工文化に空白ができることとなる。


江戸時代の1728年、八代将軍徳川吉宗は当時軍馬の飼育場であった牧場に白牛をいれ、「白牛酪」が作られた。これは牛乳を加熱濃縮して固形石鹸の型に流 し込み、炉にかけて加熱乾燥したチーズのような物で、江戸幕府の官製品として、食用や薬用に江戸の町でも多く製造されたといわれる。
550年もの空白ののちに製造されるようになった由来は不明であるが、作りかたはモンゴルやアジア特有の加熱擬乳型チーズの流れを汲むものであり、古代の蘇にも通じるものといえる。
しかし「牛の乳を飲むと牛になる」といった迷信が根強く残っていた日本では、その後も一般的な乳製品の加工、普及は遅れていた。
明治時代に入り、西欧の乳製品の製造技術が広がり、1875年(明治8年)北海道開拓庁、七重勧業試験場で練乳やバター、チーズが試作、製造されるように なった。民間では明治37年函館のトラピスト修道院が、昭和3年には北海道農酪販売組合連合会(現在の雪印乳業株式会社)がそれぞれチーズの製造を開始し た。また1932年には本格的なチーズ工場が北海道遠浅に建設され、プロセスチーズ普及の契機となった。

 



チーズ復興の父(?) 徳川吉宗


トラピスト修道院

 
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